2011年09月02日

善良な市民

今日、車で移動中、FMおたるから、忌野清志郎さんの「善良な市民」が流れてきた。
この曲の発表は確か1993年。
もうだいぶ経つけど、歌詞を注意して聞いていると、現在にも相通じるところがある。

歌詞の一つ一つに「ああ、あの頃確か、自衛隊海外派兵で揉めてたなぁ」だとか、
「この頃、政治とカネで騒がれていたのは誰だっけ」とか考えた。
まあ、ハッキリ言えることは、今も昔も政治家たちは変わっていないし、それを選ぶ我々も変わっていないってことだ。



「善良な市民」の歌詞は、コチラで読めます。

この頃、ビール会社は新銘柄を発売し、Jリーグは発足したばかりで一大ブームだった。
当時も今も、小遣いを切り詰めて、ささやかな喜びを求める庶民生活は一緒。

しかしながら、ただの「善良市民」では、「弾にあたって死んじまうだけ」なのだ。
放射能の雨を浴び、汚染された食い物を子どもたちに与え、祖先から受け継いだ美しい土地・自然を電力会社に奪われるのだ。

「市民」が正しい政治家を選び、子孫のために正しい選択ができるよう、真の「善良な市民」でありたいと思うのだった。

※本日、泊原発を抱える北海道4区選出の鉢呂吉雄氏が経済産業相に決定。北海道4区は、俺の居住地の選挙区でもあります。しっかりと注視していきたいと思います。


MUSIC from POWER HOUSE
忌野清志郎&2・3’S
B000CBO148
ラベル:忌野清志郎
posted by HIKISHIO at 16:23| 北海道 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
意見 (考え) は、各人で違っている。
だが、一つの意見を選んで、それを社会の意見とすれば、代表制民主主義がなりたつ。
だから、有権者は、個人的な意見の違いを把握して個人選び (投票) をしなければならない。
個人の意見を社会の意見と認めることができれば、議会政治もうまくゆく。

意思は未来時制の内容であり、日本語に時制はない。
それで、日本人に、考えはない。あるのは、実況放送と現状報告の内容ばかりである。
本人に自分の意見を述べる意欲もなく、相手に話者の意見を把握する努力もない。
これでは、議論はできない。あるのは、事実関係調べだけである。

日本人の暮らしは、子供の使いのようなものである。
有るものはある。無いものはない。
必要なものを自分自ら獲得するのが大人の態度であるが、これができない。
日本人は子供の態度でいる。いまだに、神 (親) 頼みでいる。問題を解決する能力がない。

能動がない。
周囲の者から、「そこは、ああするものだ」、「ここは、こうするものだ」と入れ知恵されて、それを行う。
他力本願の人の心は、被害者意識に満ち満ちている。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。

意思のないところには責任もなく、成り行き任せになる。
これが自然の状態であるとして、満足しているようにも見える。が、人間主義がない。
行方も知れぬ、日本人の道かな。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
Posted by noga at 2011年09月02日 23:57
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